標高73m、スギとヒノキに覆われたなだらかな峠です。北側の登り口には地蔵が立っており、登り口の南側は平方峠とも呼ばれる小さな峠です。
伊勢から熊野三山を目指す巡礼者が、初めて熊野の海を目にした見晴らしの良い沖見平には、江戸時代の紀行作家である鈴木牧之が詠んだ二句の木板が立っています。4月から5月にかけてはオンツツジの群生が咲き、新緑に鮮やかな彩りを添えます。
標高241m、並走するツヅラト峠と比べると高低差の少ない峠です。
江戸時代初期に開かれた峠には旅籠を兼ねた茶屋があり、大正時代から昭和時代にかけては、人力車の中継地として常時4~5台止まっていましたが、1930年の鉄道開通とともに茶屋は閉じられました。
緩やかな明治道と急坂の江戸道が並走して残っています。
標高357m、かつては「伊勢国」と「紀伊国」の国境だった峠で、伊勢から熊野三山を目指す巡礼者が、初めて熊野の海を目にした峠です。
江戸時代以降は荷坂峠が正式な紀伊国の玄関口となってからも、昭和初期まで生活道として使われました。峠の南側には谷に面して野面積みの石垣や石畳がよく残っています。
なお、「ツヅラト」とは、九十九折のことです。