538段の急峻な石段を登った先にある神倉山に鎮座する神社で、御神体であるゴトビキ岩に熊野権現が最初に降臨したと伝わっています。その後、西暦128年に現在の熊野速玉大社に遷座され、神倉山の「元宮」に対して、熊野速玉大社を「新宮」と呼ぶようになったといわれています。毎年2月6日には上り子(または、のぼりこ)と呼ばれる松明(たいまつ)を持った男子が一斉に山を駆け下りる御燈祭が行われます。
熊野三山の一つで、主祭神は家津美御子大神です。荘厳な社殿群は、1889年の水害で流出を免れ、大斎原から遷されたものです。かつては熊野にいらっしゃる神という、「熊野坐神社」と号されていました。
かつては神仏習合の修験道場として隣接する熊野那智大社と一体化していましたが、明治時代に入り、神仏分離令の影響から、独立して天台宗の寺院となりました。1161年に始まった西国三十三所巡礼第一番札所でもあり、江戸時代には多くの巡礼者が伊勢神宮・熊野三山・西国三十三所を一度に巡礼したそうです。
那智山の中腹に鎮座する那智大滝を御神体とする熊野三山の一つで、主祭神は熊野夫須美大神です。境内には樹齢約850年のクスノキの御神木があり、空洞化した幹の中に入る胎内くぐりをすることができます。
熊野川河口に鎮座する熊野三山の一つで、主祭神は熊野速玉大神と熊野夫須美大神です。境内には御神木である推定樹齢千年のナギが生えています。その葉は力を入れても裂けにくいことから、神々との強く、永く、縁が切れない熊野信仰の象徴としてお守りに使われました。巡礼者は、巡礼を終えた証としてナギの葉を持ち帰ったといいます。また、敷地内にある神宝館には、1200点を超える国宝の古神宝類や重要文化財が展示されています。
熊野本宮大社がかつて鎮座していた場所ですが、1889年の水害で社殿が倒壊し、現在の高台に遷座されました。入口には高さ33.9m、幅42mの日本一の大鳥居が建っています。
創建は1411年と伝わり、正式名称は浄薬寺です。後白河法皇と京都の三十三間堂に縁のある寺院です。頭の病気に御利益があるとされることから、多くの参拝者が訪れます。また、江戸時代には、熊野川を渡る楊枝の渡し場がありましたが、現在では三和大橋を渡ります。
伊弉冉尊が火の神である軻遇突智をこの地で産んだとされ、安産祈願の神社として崇拝されています。また、大祭で古くからさんま寿司が出されていることから、さんま寿司発祥の地とされています。
天台宗の寺院であり、平安時代から江戸時代にかけて、ここから僧侶が遥か彼方の観音浄土である補陀落山を目指して、小舟で南の海に出航する補陀落渡海が行われた地です。9世紀から18世紀の間に約20回行われました。境内には、補陀落渡海を行った僧侶の墓碑があります。
補陀洛山寺と隣接し、神仏習合の名残をみせる熊野九十九王子の一つです。現在は、熊野三所大神社と号しています。