本宮道を歩くと多くの柑橘畑を目にします。この地域は温暖多雨な気候と水はけのよい土壌で品質の良い柑橘が広く栽培されています。年間を通して多くの品種が収穫され、主要な特産品となっています。

のどかな田園風景が広がる集落です。春から晩秋にかけて、巨大な朝霧が川のように山を流れ下る「風伝おろし」と呼ばれる珍しい自然現象が起きます。花の窟から約14km地点にあるため、本宮道を一日歩く際の目安となる場所です。

巡礼者を静かに見守る地蔵が峠まで1町間隔(約109m)で置かれています。元は50本だったようですが、今は35本しか残っていません。安土桃山時代に建てられたと伝わります。

穏やかな江ノ浦湾に面した昔ながらの漁師町で、かつては巡礼者の宿場や船の風待ち港として栄えてきました。干物や海産物を販売する商店が並ぶ町並みの中には、長島神社や長楽寺、佛光寺など歴史ある寺社、珍しい昇降式の江ノ浦橋、ループ橋の江の浦大橋などがあり、この地域の歴史、文化、風景に触れることができます。

おかげ参りの雰囲気が残る内宮の鳥居前町。約800メートルの石畳の通りには、赤福などの老舗和菓子屋や郷土料理を提供する飲食店、土産物店などが立ち並びます。おはらい町という名は、伊勢信仰を各地に広めた御師(おんし)の館が軒を連ね、信徒を泊めたり、おはらいをしたり、神楽をあげていたことに由来します。また、おはらい町の中ほどには「おかげ横丁」があり、50余りの飲食店、伊勢土産物店、体験施設が軒を連ね、伊勢の暮らしや文化を体感できます。

山を守り司る精霊として信じられ、豊穣、多産、生命力の女神と見なされていました。それは古代の自然信仰であり、しばしば男根のシンボルが供物として与えられたり、天災をなだめるために崇拝されたりしました。
春になると山を下って田畑の神になり、秋の収穫が終わると近くの山に入るといわれ、農業と深い関係があります。 熊野古道沿いには山の神を祀る場所がたくさんあります。

疫病や災難から村を守るために村の入り口に立てられることが多い石塔です。庚申塔や庚申塚とも呼ばれます。庚申は、平安時代にさかのぼる道教の起源を持つ民俗信仰であり、古代の干支暦によると、60日ごとが庚申の日でした。この日の夜、眠っていると体内の三尸(虫)が逃げて昇天し、その人の罪を天の神に報告し、寿命が短くなると信じられていました。これを防ぐために、信者は眠らずに夜を明かすという信仰に発展しました。

20年に一度、内宮と外宮の正宮をはじめ14所の別宮と宇治橋だけでなく、正殿の内外を飾る品々や武具、馬具、楽器などの調度品714種1576点の御装束神宝を新調して、天照大御神が隣接する宮処に遷られる神宮最大の神事です。式年遷宮は9年の歳月をかけて執り行われ、御木曳行事、御白石持行事、心し御柱奉建、遷御の儀、最後の御神楽などを合わせた33の祭祀と行事で構成されます。690年に天武天皇の発意により最初の遷宮が行われてから1300年以上にわたり繰り返されてきた歴史を持ち、2013年には62回目が行われました。
20年使われた御装束神宝の数々は神宮徴古館、調整工程品はせんぐう館で見ることができます。

熊野本宮大社と旧社地の大斎原を望む地に建てられ、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」(熊野古道)を訪れる来訪者にとって、観光情報や地域情報を手に入れることができる拠点となっています。
本宮と熊野信仰、熊野参詣の変遷、熊野本宮の伝承・風土と歳時記をテーマに写真や図表で紹介するコーナーが設けられています。

1970年に廃校となった明倫小学校の跡地です。現在は、公園として整備されており、ホテル瀞流荘から三和大橋までの数少ない休憩ポイントです。

上に戻る