阪本集落の棚田の中にある高さ5mの岩に、一際目立つ石灯籠が建てられています。1813年に寄進されたもので、妙見山の遥拝所です。なお、この阪本集落は紀州犬発祥の地として知られています。
安土桃山時代に熊野地方を統治していた堀内氏によって築城されたのが最初であり、その後に代わった浅野氏、水野氏によって再築城されましたが、明治維新の廃城令で取り壊され、現在は石垣だけが残ります。別名丹鶴城とも称されます。
1905年、宮川に架けられた全長90mの道路橋で、レンガ造りの橋脚は竣工時のままです。国の登録有形文化財に指定されています。三瀬の渡しが廃止された現在は、この橋を渡って三瀬坂峠に向かいます。
木々に囲まれて涼しいこの井戸は年中水が湧き、当地の殿様が鷹狩りの際に頻繁に訪れて休憩を取ったため名付けられました。
猿木坂から上流を見上げると1904年に架けられたレンガ造りのアーチ橋、通称「眼鏡橋」が見えます。全長は17mで、二つあった橋の一つは鉄道敷設のため埋没し、現在は一つだけとなっています。
田丸城は南北朝時代の1336年に北畠親房によって築城され、伊勢神宮に近いことから、戦略的な要衝として幾度も争いに巻き込まれました。1575年には、織田信長の伊勢侵攻に伴い、北畠氏を継いだ信長の次男である織田信雄が三層の天守を築き城主となりましたが、天守は1580年に焼失。江戸時代には紀州徳川家の所領となりました。明治時代に入り、城内の建物はほとんど取り壊されましたが、天守台や石垣、堀などの遺構は今も残されています。