標高305mの甫母峠を越える険しい道で、かつてはこの峠を境にして、「志摩国」と「紀伊国」の領地が分かれていました。名前の由来は、自分の領地は「自領」、他人の領地は「他領」と呼び、それが「次郎」、「太郎」になまったと伝えられています。道中には江戸城の建設に使われた石材の石切場跡や、クジラに見えるという鯨石、美しい熊野灘を望む楯見ヶ丘など見どころの多い道です。また、峠にはほうじ茶屋跡が残り、その名前は領地の境を示す「傍示」に由来するといわれています。
標高305mの甫母峠を越える険しい道で、かつてはこの峠を境にして、「志摩国」と「紀伊国」の領地が分かれていました。名前の由来は、自分の領地は「自領」、他人の領地は「他領」と呼び、それが「次郎」、「太郎」になまったと伝えられています。道中には江戸城の建設に使われた石材の石切場跡や、クジラに見えるという鯨石、美しい熊野灘を望む楯見ヶ丘など見どころの多い道です。また、峠にはほうじ茶屋跡が残り、その名前は領地の境を示す「傍示」に由来するといわれています。