標高357m、かつては「伊勢国」と「紀伊国」の国境だった峠で、伊勢から熊野三山を目指す巡礼者が、初めて熊野の海を目にした峠です。
江戸時代以降は荷坂峠が正式な紀伊国の玄関口となってからも、昭和初期まで生活道として使われました。峠の南側には谷に面して野面積みの石垣や石畳がよく残っています。
なお、「ツヅラト」とは、九十九折のことです。
標高357m、かつては「伊勢国」と「紀伊国」の国境だった峠で、伊勢から熊野三山を目指す巡礼者が、初めて熊野の海を目にした峠です。
江戸時代以降は荷坂峠が正式な紀伊国の玄関口となってからも、昭和初期まで生活道として使われました。峠の南側には谷に面して野面積みの石垣や石畳がよく残っています。
なお、「ツヅラト」とは、九十九折のことです。