おかげ参りの雰囲気が残る内宮の鳥居前町。約800メートルの石畳の通りには、赤福などの老舗和菓子屋や郷土料理を提供する飲食店、土産物店などが立ち並びます。おはらい町という名は、伊勢信仰を各地に広めた御師(おんし)の館が軒を連ね、信徒を泊めたり、おはらいをしたり、神楽をあげていたことに由来します。また、おはらい町の中ほどには「おかげ横丁」があり、50余りの飲食店、伊勢土産物店、体験施設が軒を連ね、伊勢の暮らしや文化を体感できます。
山を守り司る精霊として信じられ、豊穣、多産、生命力の女神と見なされていました。それは古代の自然信仰であり、しばしば男根のシンボルが供物として与えられたり、天災をなだめるために崇拝されたりしました。
春になると山を下って田畑の神になり、秋の収穫が終わると近くの山に入るといわれ、農業と深い関係があります。 熊野古道沿いには山の神を祀る場所がたくさんあります。
疫病や災難から村を守るために村の入り口に立てられることが多い石塔です。庚申塔や庚申塚とも呼ばれます。庚申は、平安時代にさかのぼる道教の起源を持つ民俗信仰であり、古代の干支暦によると、60日ごとが庚申の日でした。この日の夜、眠っていると体内の三尸(虫)が逃げて昇天し、その人の罪を天の神に報告し、寿命が短くなると信じられていました。これを防ぐために、信者は眠らずに夜を明かすという信仰に発展しました。
20年に一度、内宮と外宮の正宮をはじめ14所の別宮と宇治橋だけでなく、正殿の内外を飾る品々や武具、馬具、楽器などの調度品714種1576点の御装束神宝を新調して、天照大御神が隣接する宮処に遷られる神宮最大の神事です。式年遷宮は9年の歳月をかけて執り行われ、御木曳行事、御白石持行事、心し御柱奉建、遷御の儀、最後の御神楽などを合わせた33の祭祀と行事で構成されます。690年に天武天皇の発意により最初の遷宮が行われてから1300年以上にわたり繰り返されてきた歴史を持ち、2013年には62回目が行われました。
20年使われた御装束神宝の数々は神宮徴古館、調整工程品はせんぐう館で見ることができます。
伊勢神宮外宮の入口にある博物館であり、「神様の記録庫」として外宮正殿を原寸大に再現した模型、式年遷宮に関する映像、展示品や技術などを詳しく学ぶことができます。
1905年、宮川に架けられた全長90mの道路橋で、レンガ造りの橋脚は竣工時のままです。国の登録有形文化財に指定されています。三瀬の渡しが廃止された現在は、この橋を渡って三瀬坂峠に向かいます。
木々に囲まれて涼しいこの井戸は年中水が湧き、当地の殿様が鷹狩りの際に頻繁に訪れて休憩を取ったため名付けられました。
猿木坂から上流を見上げると1904年に架けられたレンガ造りのアーチ橋、通称「眼鏡橋」が見えます。全長は17mで、二つあった橋の一つは鉄道敷設のため埋没し、現在は一つだけとなっています。
田丸城は南北朝時代の1336年に北畠親房によって築城され、伊勢神宮に近いことから、戦略的な要衝として幾度も争いに巻き込まれました。1575年には、織田信長の伊勢侵攻に伴い、北畠氏を継いだ信長の次男である織田信雄が三層の天守を築き城主となりましたが、天守は1580年に焼失。江戸時代には紀州徳川家の所領となりました。明治時代に入り、城内の建物はほとんど取り壊されましたが、天守台や石垣、堀などの遺構は今も残されています。
1569年に開創された曹洞宗の寺院です。境内には樹齢数百年の椎や樫の大木をはじめ、ユキヤナギ、ツツジ、サルスベリなどもあり、花の寺としても知られています。